今年、村上春樹さんによる新訳がでたShel Silverstein のThe Giving Tree。
この原書が、今月のワークショップの課題なので、解釈を深めようと日本語でも読んでみた。
これまでの訳との違いで、ひとつ印象的なのがここ。
枝も幹も切られてしまった木が、年老いた「少年」と再会する場面だ。
I'm sorry と木が言うのだが、旧訳では謝罪と解釈している。
その後ろに続くのが、「枝もないし……」とあげるものがあれもこれもなくなったという文だから、と考えた翻訳だろう。
しかし新訳では、その前の「少年」のせりふ、年老いてリンゴをかじるにも難儀すると言った内容を受けて、木が彼に同情するI'm sorryだ。
Aha!
この木が、よく「少年」の話に耳を傾ける性格なら、同情が自然か。
でも、もし盲目的な愛を注ぐタイプで、自分が何もあげられなくなったことにこだわりが非常に強いなら、「ごめんなさい」が前面にでることも。
英語ではI'm sorry、どちらもありだから、まだ突き詰めていなかった。
春樹さんは翻訳が好きだということだが、こういうちょっとした言葉に機微があって、楽しいのかなと、翻訳士の末席を汚すものとして、なんとなく想像する。
さしあたり、原書のリードアラウドでは、この木の性格をもう少し深めようと思う。