リードアラウド、「聴く耳」を育てる

リードアラウドでは、子どもたちに絵本に描かれた内容を、絵とわたしたち(大人)の読みだけでなるべくわからせる。
そのため、読み(朗読)の力がわたしたちに必要だ。

「いい:悪い」または「上手い:下手」は、数字で見えてこないので、何を「よし」とするのか、迷うことがあるかもしれない。
自分が「よし」と感じるレベルを出来るだけプロレベルに近づけ、自分のレベルも上げるために一番いいのは、「聴く耳」を育てることだろう。

わたしはリードアラウドの「せい」(?)でか、大震災のせいか、長いこと休んでいたTVを、ちょくちょく見るようになった。
そして、驚いたのは、TVの見方がまったく変わってしまったこと。
情報を得るためではなく、出演している人たちの言葉を無意識に表現として聴き、ついでに顔の表情も見ているようなのだ。

先日、いつもの時間帯のNHKニュースのアナウンサーが休み、恐らく管理職の先輩アナウンサーが代わりにニュースを読んだ。

あれれ。
ニュースに暖かみや、ちょっとした悲しみが、嫌味なく滲んでいて、普段は流しっぱなしになりがちなのに、画面の前に座って聴き入ってしまった。
ニュースとしてうるさくない程度の、ちょうどいい人情のような感情が滲む読み方だった。
これ、「上手い」と言うのだろう。

ベタベタ媚びもなく、上から言うようなもの言いでもなく、自意識過剰もなく、違和感がない。
声が響いているので、語尾も気持ちいい。
ふっと空く間も、絶妙。
声ひとつで、「あ、人が亡くなったニュースだ」とか、「お茶目なトピックスだ」とか、「国民、怒ってるゾのニュースだ」とかが予想つく。
世の中にはいろんなニュースがあるものだ、と気付かせてくれる。

まだ若い、いつものアナウンサーの場合、声が「一色」のみ。
どのニュースも張り切った声ではっきり聞き取れ、気分が悪くなることもないが、欧州金融危機ニュースも、どこかの祭りでサンマがふるまわれた話もみんな同じに聞こえる。

そこで、聞いている方の感覚もマヒして、飽きる。
そして画面から離れ、流しっぱなしに……。
「この人じゃ、リードアラウド、まだ務まらないなあ」と、場違いの感想を抱く。

もちろん、このアナウンサーは、たとえばショッピング・モールなどの館内放送などと比べたら数段上で、さすがにプロだ。
ニュートラルというか機械的というか、ゼロのよさがある。
しかし館内放送レベルは、違和感だらけのマイナスだ。
耳に栓をするか、スピーカーのスイッチを切りたくなる。

近頃はこうして、耳に入ってくるものすべてを、「リードアラウド基準」で聴いてしまい、耳が忙しくてたまらない。