ドキュメンタリー”Waiting for SUPERMAN”

恐らく昨年末か今年の新年の太平洋線航空機上で見た、ドキュメンタリー映画Waiting for SUPERMANが印象的で、ずっと頭の隅にあったらしい。

その本が出ていて、飛びつくように読み始めた。
タイトルには副題がついていて、How We Can Save America’s Failing Public Schools。
映画を作ったのは、ゴア元副大統領の『不都合な真実』の映画版も作ったDavis Guggenheimだ。

アメリカで子育てをしたたいていの日本人は、あまり深く考えないうちに、仲間内で推薦されている学校の通学域に住み、その学校に子どもを通わせていたのではないかと思う。
そういった学校は別格で、優良校だったろう。
もうそこで、アメリカのひとつの現実を見ずじまいだったと言えるかも知れない。

アメリカの公立学校には社会の格差が、激しく反映されている。
荒れている学校は、貧しいから荒れている地域社会にあって、お金も人材も集まらず、ずっと荒れている。
裕福なひとたちはそこを高速道路で素通りしていい地域に住み、いい学校に子をあげるから、その現実が見えないし、意識にない。
でも、どちらがアメリカで多数派かといえば、荒れていたり学力不振の学校のほうだ。

「アメリカの国力のために、公立学校での現実を素通りしてはいけない。
エリートと呼ばれる人たちで、子どもにいい教育を自力で与えられるひとたちも、現実を知り、それを改革したり改革しようとする人たちがいることを知って欲しい。
不公平を受けている子どもたちがいることを、現実として受け止めて欲しい。
そして、社会全体としてこの現状を少しでもよくしよう。」
というのが、この映画のメッセージだと思う。

映画では、アメリカ各地からケーススタディのように、数人の子どもが選ばれ、その子たちの学校をめぐる環境を映しながら、全体としてアメリカの公立学校の現状と問題点を浮き彫りにしていく。

登場する子どもの無垢さが、見る人の心に矢を放つ。
自分の子どものことばかり考えていてよかったのか。

などなど、本で読み始めたら、止まらない……。

コメントを残す

CAPTCHA