新小1、リードアラウド初体験

今年度のS小学校、1年生の第1グループの初めてのリードアラウドをした。
絵本はNo, David!

わたしがこの本でリードアラウドするのも、年季が入ってきた。
いろいろなケーススタディを経験済みなので、こちらにも随分余裕があり、始める前には、子どもたちの反応が楽しみ、というリラックスした心境だ。

歴代(この学校でわたしの「リードアラウド」が生まれた)、この学園の特徴とも言えるが、子どもの自由さ、表情の明るさ。
のびのびしていて、物怖じをあまりしない。
それが、リードアラウドの環境としてぴったりでもある。

とはいえ、わたしとは初対面であり、リードアラウドも初体験。
さすがに、始めの10分位は、「読みたい人は」の問いかけに、手をあげる子がいない。

だんだん、「こんな疲れ果てたおかあさんの声で読んでみよう」「あまーい幼稚園の先生風に」など、いかにも好き勝手に聞こえるわたしの要望に、リードアラウドが指導する「感じを出した」読み方には、正解・不正解がないということがわかってくる。
すると、手がどんどん挙がりだす。
この日も、みんなが読みたがって、またまた数分時間オーバー……。

いつも感心するのだが、特にここでの子どもの読み方、表現方法に、素晴らしいものを発見する。
たとえば、この日の本の
That’s enough, David!
というせりふ。

そこまでのデイビッドの悪い子ぶりをたどって、「おかあさんだったら、日本語で、なんて言いそう?」
と尋ねると、ちゃんと「デイビッド、もういい加減にしてちょうだい!」などと、的を得たことを多くの子が答えてくれる。
そこで、母語でのそのせりふの勢いのまま、That’s 〜 を読ませると、もう最高の表現なのだ。

「英語絵本での日本語のまぜかた」で、英語指導者は大いに迷うが、少なくとも母語がほぼ完成した小学生以上では、母語でわきあがる感情を英語に移すと、和文英訳ではない、すとんと腑に落ちるような、英文の「体感」のような理解が可能だ。

こんなことが、わかってきたのも、こののびのびと表現してくれる子どもたちのおかげ。
本年度も、よろしく!

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