今、できることは

3月11日のあの時間、東京渋谷区の事務所にいた。
本がたくさんあるところ。
同僚と机の下にもぐり込み、棚の上の固い絵本が落下してくるのに当たらずにすんだ。
そんな程度で終わって、心底、生きている事に感謝した。

机の下からはい出て、日本で起こった事をだんだん知るにつれ、いつものようには仕事が出来なくなってしまった。

映像の力は凄い。
被災した人々の、生の言葉は強い。
それらが、びんびん頭のなかで響いたり、何度もイメージされたり、外から見たら、今のわたしはぼんやりしている。

今、出来る事のひとつ、義援金を新聞社に送った。
避難している子どもたちに、絵本を読んであげる会とか思うが、物資が足りないところによけいな人間が行っても迷惑に違いないので、思い留まった。

アメリカの、知り合いはもちろんのこと、取引先の人からも見舞いのメールが来た。
太平洋岸の人たちは、自分たちの心配もあるようだ。
「次は自分たちだ」
と言われると、なんだか突き放された感じがする。
お見舞いの時には、こういう言葉にも気をつけるべきだと、自分が言われてみてわかった。

外国人コミュニティに半分足を入れているので、外国人の動向を聞く機会があるが、随分と国外に出て行った。
余震と放射能の恐怖からだろう。
当然のことかも知れないが、一抹の悲しみを感じる。

家人はアメリカ人だが、「もう1つ、ヘルメットもらってくる」と明るい。
アメリカに住んでいるもうひとりの家族は、「日本から連絡がないのは、自分だけだった」と、こちらから電話したらのたまった。
反対じゃないの。
いろいろ、変なことを聞いてくる家族と話し、ちょっと気分が明るくなった……。

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