恥ずかしがり屋と英語

先日、自由が丘の英語教室に取材にいらした教育雑誌の記者の質問で、ちょっとユニークだったのが「恥ずかしがりやの子にはどう英語をさせたらいいか」。

実は、わたしは恥ずかしがりやで人見知りをする子どもだった。
ただし、小学4年生くらいまで。
6年生のときには、学芸会で主演し、児童会にもしゃしゃりでている図々しい子に変身していた。
そこで経験的に思うのだが、恥ずかしがりやとか人見知りというのは、英語に関してだけでなく、自意識が過剰な状態なのではないか。

他人に認められる、または認められていると思えると、人前に出て堂々としていられる。

小学生中学年まで、発言はあまりしなかったが作文や日記にいろいろ書いていた。
それを先生がみんなに読んだり、文集に載せてくれた。
先生に、どこがいい・何がいいと、具体的にみんなの前で褒めてもらえたことが、自信に繋がったようだ。

こんな遠い昔の自身の経験に加え、これまでリードアラウドをした小学生たちの感想文などから、「恥ずかしい」はよくある感情なのを知っている。
英語では特に、発音というか音読するのが恥ずかしい。

そこで、あることを心がけている。
それは、小さなことでも、具体的に、そして努めて自然に褒めること。
具体的な褒め方でないと、逆効果になるから注意したい。
特に親の場合、ただの気休めを言っているのだと子どもは思いがちだ。

だから、例えば David の発音を「デビッド(do)」とカタカナ的に発音している親に、No, David!の本を習いたての子が、「デービッ(d)」と発音したとする。
ちゃんと子音のdで語尾は切り上げ、母音のoが残らず、Dにははっきりとアクセントがある発音だ。
親は子に、その2点が素晴らしいと言う。
褒めるというか、感心して、敬服してしまうのだ。

子どもの吸収力、特に聴覚的な英語力は本当に敬服に値する。
まず素晴らしいことに気づき、それをどんどん口にして、褒める。
すると子は、くすぐったそうな表情や、もしかしたらちょっと迷惑そうな表情をするが、次第に英語学習に前向きになっていくはずだ。

実際、そんな子どもを毎年何人も見ている。
今日からでも、親も先生も褒め上手になろう!
No, David!
『No, David!』

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