リードアラウドする人々Q & A:演技するということ

これまた質問ではなく、感想だが、「指導者向けワークショップ」参加者から寄せられたもの。

私自身はまったく実践できていませんが、演技を学ぶ事には
人生の中で大切な要素がたくさん詰まってるなぁ。。と感じます。
それを子どもの頃から、楽しんで出来たら、、、
演じる事を好きになれたら、人生楽しくなりそうな気がして。。

同感する。
児童英語教育学者などが、小学校での英語絵本の教え方を、いろいろ発表している。そこで気が付くのが、「まず、教師が表現豊かに絵本を読む」の一行。その後に、どうゲームするとか、どんな構文やイディオムが教えられるかなどに言及している。でも、どこをどう捜しても「表現豊かに絵本を読む」については、その一行だけ。

この「表現豊かに読む」には、演技力が求められる。そうでないと、その読みを聞いても情景が浮かばないし、わくわくもしないし、興味がわかない。どれだけのものを「表現豊か」というかといえば、その朗読を聞いて、知らない言葉(英語)なのに情景が浮かんでくるもの。そして、聞いた人がその表現と言語を的確に使えるように、その表現が自然で違和感のないものであるべきだ。

録音され発売されている「読み」のなかにも(有料であるにもかかわらず)、情景が浮かばない、ただ単に言葉が発音されているだけのものや、違和感が大きくて鑑賞するのが苦しいものがある。特に、ELS(英語を母国語としない人向け教材)や日本で制作されたものには、発音チェックにしか使えないものが多々ある。(これらは、近い将来、PCや電子ブックの自動読み下し機能に置き換えられると思う。)

「子どもの鑑賞に耐えればいい」ような仕事は、子どもに失礼だ。そして、実は子どもは直観的に気付いていて、だからよく聞いてくれなかったりするのかも知れない。

こういうことを、わたしがよく言うのは、自分が子どもだった時のことを、鮮明に覚えているからでもある。「子どもだまし」をされると、とても不愉快だった。たとえば、学校にまわってくる大方の演劇集団の劇には退屈しふくれっ面をしていたが、本物の劇場の劇ではにこにこ、わくわく。またレストランではお子様ランチよりも、大人のメニューからアラカルトで選びたく、両親を困らせた。たいがいの学校の先生やタレントの朗読には鳥肌がたったが、宇野重吉や滝沢修、岸田今日子などの朗読には引き込まれた。

「そんなに上等なもの、子どもにいらない」はずはない。英語指導者のみんながみんな、名優になれないが、それを目指しているという姿勢は、柔軟さを失わず、努力を続ける「好ましい大人」に映り、ロールモデルにさえなりうる。

また、ただ不自然に大げさで「子どもじみた」、押し付けがましい表現に不快感を抱くのは、大人と同じだ(ネイティブのELTの先生に散見される)。少しずつでも、わたしたち指導者が演技力をつけていけば、英語の意味も随分とストレートに伝わるようになり、表現の大切さにも気付いてもらえ、文字通りの直接教授法になる。

たとえば、「loveは、日本語では愛、愛するという意味です」と言葉で説明されるより、好きで好きでたまらないといった表現で読まれたり言われたら、それがそういう感情であることが、直球で腑に落ちる。そして後に、その感情が起こった時に、loveが自然に、ためらうことなく使える。
ブルース・リーも言っている。「Don’t think, feel!」

そして、指導者のこうした努力には「役得」もあるようだ。上記のWS参加者の感想にもあるが、「人生の中で大切な要素」にまで気付ける……。