リードアラウドする人々のQ & A :「イメージする」とは

 「夫の添え物ではないfirst First Lady」と言われる大統領夫人Eleanor Rooseveltの伝記を、立て続けに読んだ。そして反省した。想像を絶する忙しさのなかで、エレノアはMy Day という新聞コラムを週に6日、何十年も書き続けたのである。さあ、わたしのリードアラウド of the day or days、今日も書いてみる。

 質問ではないが、ワークショップ参加者の感想として何人もの人々から寄せられたことがある。リードアラウドの練習で、「イメージする」のに苦労するということ。しかしこれは、想定内の苦労である。これを乗り越えてこそ、うまくなる。

 本の主人公を具体的にイメージして演じる。これが初歩で、まずこれを出来るようにする。しかし、これで固まると、よくある「クサイ」演技、違和感のあるものになる。分かりやすい例は、田村正和演じるところの、古畑刑事。わたしたちは、ここに留まっているわけにはいられない。(多分、天才の場合はここを飛ばす。)

 そして次なる課題は、役と自分を重ねること。自分をクマならクマにシンクロさせるイメージ、と中西先生はおっしゃる。これが、つまり「なり切り」。これは不思議とクサくなく、自然な演技になる。名優といわれる人たちの演技である。その人が、その役になっているから、見る方はフィクションであることさえも忘れる。緒方拳はいい人だったり極悪人だったり、イロっぽかったり、淡白そうだったり、物語が違うたびに違う。名優だったのだろう。そうした自然な演技が、わたしやリードアラウドをして楽しませようとする者たちの目標だ。

 先週からの、さしあたってのわたしの課題は、心に太陽をイメージして朗読することだった。役作りというよりは、イメージを使って求心力のトレーニングと察する。アンデルセンの『絵のない絵本』で練習しているのだが、月が貧乏な画家の若者に、自分が見て来たことを毎晩、話をするという設定だ。「神々しい月」をイメージして演じてみたのだが、絵空事すぎるしクサい。まるで古畑任三郎だ。詩的な話をひとに聞かせるのには、「心に太陽をイメージせよ!」とトレーナーの愛の鞭が飛ぶ。なかなか浮かばない太陽のイメージを思い描こうと、数日頑張った。

なかなか、すぐに浮かばない。みなさんの悩みはわたしの悩みでもあった。せりふを言う時に、反射的に何かを思い浮べるというのは、浮き輪なしで初めて泳ぐような感じさえする。歩きながら、赤信号、黄色信号を見て太陽をイメージし、せりふを言ったり。ゆらゆらゆれる炎をコロナと見立ててもみた。

……あるときふと、『西部警察』?『黒部の太陽』かなにか、石原裕次郎のドラマの冒頭に出て来る太陽が、浮かんで来た(年を感じるが)。これが、かなり自在に頭に浮かぶようになった。頭の奥の引き出しに入っていた画像が、デスクトップにのり、壁紙にでもなった感じ。こうなったら、あら不思議。エキセントリックとまではいかないが、一気にせりふが流れた。たぶん、せりふがこの時、「歌った」と思う。

これまでなるのに、潜在意識と顕在意識?両方のお世話になった(『西部警察』とか卑近なたとえでなんですが。「ガンジス川に登った太陽」と、後日ウソをつくかもしれません)。

こうして、頭というか脳裏のイメージが頭に焼き付くと、それが心に降りて来て、それから朗読すると、言葉がイメージとシンクロしたとでも言うのだろうか。太陽のように熱くなる。そして、それを聞いた人の頭にも、その熱のおかげでイメージが浮かぶらしい。言葉が、その力を存分に出したと言うことだ。聞く人に本の内容のイメージを「見せる」ことができてこその、リードアラウドなのだ。A thought of the day.

Eleanor Roosevelt: A Life of Discovery (Clarion Nonfiction)
『Eleanor Roosevelt: A Life of Discovery (Clarion Nonfiction)』

Eleanor Roosevelt (DK Biography)
『Eleanor Roosevelt (DK Biography)』

 

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