通訳って疲れます

 パウエルズのみなさんと、日本の書店のみなさんとの通訳を、ここ1週間ポートランドでしている。今日は巨大なPowell.comの倉庫で9時から4時30分まで質疑応答。
「倉庫のみなさんは、スリムですね」という感想を、ひとりから聞いたが、そう言えばそうだ。清潔そうで、頭脳明晰な好青年が多い。

 通訳していて、我ながら通訳する人の頭はどうなっているのかと思う。ぶっ続けで通訳していると、1時間過ぎた頃から筋肉疲労に似た疲れが頭を襲う。たいていは、「はっ」と真っ白な瞬間を感じてその疲労を意識する。通訳とは、ひとつひとつの言葉を翻訳する感じではなく、センテンスの意味をまるごと飲み込んで、「変換ボタンを押す」ようなもの。無意識に近い力で言葉が変換される。この機能がわたしに備わりだしたのは、そう昔のことではない。ここ5年くらいか。そしてその機能は、原始的なものからだんだんましになっているようだ。

 どうましになるのか。英語のセンテンス理解力は、疲労しているかしていないかで出来が違うだけで、ここ5年はそんなに変わっていない。だが、変換機能がアップグレイドされてきたのである。ぶちぶち切れた英語から、そのぶち切れ具合が、少しだけまともになりつつあるようだ。いつかこの分でいけば、流暢な英語に変換されて、このわたしの口がそれらを吐き出すようになるかもしれない、と希望が見えて来た。

 それにしても、通訳は頭のエネルギー消費量の多い機能を使っているんだろうか。すごく疲れる。休み時間をもらうにしても、うまく切り換えないと、ちょっとやそっとでもとに戻らない。切り替えの練習は、仕事を積むことで出来るのかも知れない。

 こうして疲れた頭で帰宅して、どうしても今月のブッククラブの本、
Corduroy (Puffin Storytime)Corduroy (Puffin Storytime)』やLemons Are Not RedLemons Are Not Red』の解説に取りかかれない。どちらも、少なからず読んだ本だから、あとちょっと頭が回復すれば書けるかな。