わたしが出会ったGood Samaritanたち

 下手の横好きで、今ひとつ翻訳を手がけている。編集者とラストスパートの真っ最中だ。そこで……realize that being a Good Samaritan……という部分のGood Samaritanの意味の確認をしていて思い出したことがある。

 今から30数年前のことだ。イランのメシャッドという町でわたしは入院していた。タイから陸伝いにネパールーインドーパキスタンーアフガニスタンーイランをバックパックを背負って旅していたのだが、ちょうどアフガニスタンに入ったころから体調を壊した。どんどん壊れ続け、飲んだ水もあげてしまうほどの脱水状態に陥った。ひとりで歩けないほどに衰弱していたところを、みるみる行きずりの人々がバトンタッチのようにわたしを助け、医療設備の整っているという噂だったイランまで国境を越えるのを手伝ってくれた。そしてそのイランの病院に担ぎ込んだ。「急性肝炎」といわれたわたしを、今度はその病院が費用は無料で入院治療までしてくれた……。

 これは、人々がみんなGood Samaritanだったんだなあと、今思うのだ。旅先で窮地に陥った人を「よきサマリア人(びと)」は救い、宿代まで払って助けたという聖書の教えだ。よきキリスト教徒とは思えないような、ヒッピー風の若者やイスラム教のビジネスマン、市民など(わたしは意識がもうろうとしていたので、ぼんやりしか覚えていない)、何しろ多くの人々が助けてくれた。彼らの頭の中に「よきサマリア人」の話があったわけではないだろうが、人は優しさを本質的に持ち合わせているということが、このときの経験でわたしのなかに印象付けられた。人道的人間のたとえが、この「よきサマリア人」なんだろう。

 また、よきサマリア人(びと)法」(Good Samaritan Law)という、多くの国に存在する人道的法律があるが、それがホメイニ革命前夜のような当時のイランに多分あって、その影響で入院治療まで無料で受けられたのではないだろうか。

 「よきサマリア人」、その言葉は英文を読んでいたり欧米人と話をしていると、ごく普通のたとえとして「まるで『よきサマリア人』になった感じ」などと使われるが、その割に日本人には知られていない言葉かもしれない。だから、今手がけている翻訳には、注釈が必要かなと思ったりしている。

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