「生意気な子ども」とリードアラウド

突然だが、わたしは生意気な子どもだった。小学生にして『芸術新潮』と『SFマガジン』、『ハヤカワ・ミステリー』を読んでいた。ときどき『文芸春秋』と『外科臨床医学』。その頃は「大人びた子ども」ともいわれたが、今もそのままなので、今は「子どもびた大人」だ。

リードアラウドを人にお勧めする時に、いつも思わずにはいられないのが、過去のわたしみたいな子どもにも面白いだろうか、ということ。いくら語学的には初歩とはいえ、頭は「子ども扱いされたくない」と思っている。生意気子ども時代に、世間にいた「子どもらしい子ども」しか見ない大人。そういう大人でありたくないと、大人になって思う。で、どうその気持ちを今のわたしの仕事に生かすか。

ヘンなおばさんが、英語の本を持って来て「さあ、気持ちを込めて読みましょう」だって?そういう、もうひとつのわたしの目が、ワークショップを子どもたちの前でする時に、じっと見ている。

Life Doesn’t Frighten Me はマヤ・アンジェロウの詩を、若くして亡くなったニューヨークのアーティスト、バスキアのイラストでまとめた絵本。学校での理不尽に負けない心を歌った詩が、熱気を感じる落書き風のイラストにのってずんずんと心に迫る。これに興味を示さない「生意気な子ども」がいたら、わたしの力量不足の証明だ。だって本自体には力があるのだから。

絵本の「業界」には、なんだかぬるま湯のような不思議なやさしさがある。「それはぬるま湯だ」と言ってしまうと、「じゃあんた、あっちの熱い湯に行けば」と自分を辛い立場におくことになりそうでもある。でも英語を使える日本人を増やしたい!という目標に向かうのなら、いつまでもみんなとぬるま湯につかっていてはいけないだろう……。それに同じ絵本とはいえ「英語絵本」という「小浴場」にいることだし、ちょっと温度を高くしても平気かな。

Life Doesn't Frighten Me
Life Doesn’t Frighten Me

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