大島英美のポートランドだより ロスト・イン・トランスレーション

今回のポートランド出張で、改めて通訳という仕事を考えた。

通訳の仕事は、この10年余ポツポツやってきた。初期の頃の仕事は、思い出すと顔が赤くなるが、雑誌や新聞の記事のために、編集者や記者と伴に人に会い、インタビューしてきた。昨年は映画『父親たちの星条旗』の原作者にくっついて、メディアのインタビューの通訳だった。これは、15分刻みで次々違うメディアに会うという、緊張するタフな仕事だったが、おかげさまでその後、一段と頭の中の「英語ー日本語」の往復が早くなった感じだ。

この度は、事前のコーディネイトから仕事が始まった。誰に会うべきか調べ、実際にその人とアポを取る。アポをとってから、現地で確認を入れ、時間調整、そして実際に会い記者のインタビューを通訳した。メモを取るコツが分かって来たが、それでも人によっては一区切りが長く、あやうくlost in translation、中身が飛んで行ってしまいそうで冷やっとする場面もあった。
この仕事、わたしの場合は体調がよくないと絶対にだめ。疲れると頭の中が、真っ白になる瞬間が出来たりする恐れがある。

2002年にブッシュ元大統領(41代目)歓迎セレモニーが、小笠原諸島父島で行われたときのことを思い出す。わたしは気楽な、一般人の通訳だったが、外務省の事務官はブッシュさんの通訳だった。その彼が、ブッシュさんの挨拶の途中、すっかり頭が真っ白になってしまった。ブッシュさんが英語を言い終わり、彼が通訳するのを待っていた。「……」と彼。じろりとブッシュさん。「……」とまた彼。みんなが息を飲んでいたと思う。わたしは、ひとごとながら、手に汗をにぎっていた。「……」3呼吸くらいだったろうか、それから彼はスラスラまったくの作文、彼が作った内容の話をしたのである。英語と日本語両方分かる人だけ、「あっ」という内容だったが、ほとんどの人には気付かれずに済んだようだった。いばりくさったイヤーな感じの若手外交官だったので、あまりかわいそうに思わなかったが、通訳という仕事の恐ろしさを知る経験だった。

先のポートランドでは、朝から晩まで人に会うような日々だったが、ときどき2時間ほど空き時間が出来たりしたので、そんなときは昼寝の許しをもらった。すぐに眠れるたちで、ほんとによかった。昼寝をすることで脳がすっきりして、一日の後半までどうにか仕事を続けられたのである。