『硫黄島からの手紙』についての手紙

 新年あけましておめでとうございます。
 昨年はわたしにとって、『Flags of Our Fathers』にその多くを占められた年でした。締めくくりは、暗示的な?玉川高島屋でのKen Watanabeとの遭遇と、FM東京の「エンタメックス」への電話出演。
 クリスマスイブに、遅ればせながらプレゼントを買いに行ったデパート。エレベーターに乗ったとたんに、真横に立つスラリとした背の高い男性に気がつきました。彼は、丸顔のぱっとした顔立ちの女性と、日常的なお話をしていたのですが、なんだか知っている人の気がして2、3度、失礼ながらちらちら確認。でも「ン?」のまま6階に到着し、彼らとわたしは降りました。そのとたん、エレベーターの前に立っていた人が「ウソッ!」と目を見張ったのです。
 それで分かりました、やっぱりKen Watanabeとその女優の奥様でした。わたしの手には、「エンタメックス」でコメントするための「教材」、買ったばかりの『ニューズウィーク日本版』の表紙のニノ君がまるまっていました……。
 翌水曜日、4:30ごろにFM東京から電話。そして『硫黄島からの手紙』に関わるエピソードをお話ししました。
 その中で、「なぜ、あんなに自然で違和感のない、日本人を描いた映画を、クリント監督は撮ることができたのでしょうね」という問いかけがありました。わたしは、クリントが「聞く耳」を持っているから、とお答えしました。実際、戦争を日米それぞれ双方の視点から描くことについて、彼と原作者のJames Bradleyは何時間も熱くディスカッションしたと、わたしは原作者自身から聞いていました。また、クリント自身が非常に貧しい家庭出身なので、貧しい者や声の小さい者といった「名もなき者」からの視点で映画を作りたいのでは、という想像も働きました。そして、撮影現場でわたしが会ったクリントの奥様は、サンフランシスコ出身の元ジャーナリストで、「わたし、4分の1、あなたと同じ日本人なのよ」とのことでした。そんなこともあって、日本側、そして「庶民」の側からの太平洋戦争という視点が、クリント監督の中に育ったのではないかと思っています。
 『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』は、どうしても両方とも見るべき映画という思いを強くしています。それぞれ独立した物語ですが、作品として双方が補い合うところがあり、片方だけでは監督の思いが全部伝わるとは言えないでしょう。
 前例のない2部作形式の製作という、ハリウッドでの果敢な挑戦をしたクリント・イーストウッド監督のエネルギーに敬服します。

父親たちの星条旗&Flags of Our Fathers セット
父親たちの星条旗&Flags of Our Fathers セット』(父親たちの星条旗セット)

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