絵本リードアラウド認定講師のみなさん!Let’s enjoyリーダーズシアター!

新年度が近づき、夢をいろいろ思い描く。

Readers’ Theaterを演じる楽しさ、見る楽しさを、2017年度末の発表会や年末のカフェでのショーで味をしめた。

そのおかげで、夢の中でも講師のみなさんとのReaders’ Theaterを、特に具体的に考えるようになった。

 

 

認定講師のみなさんと、ビデオに作品を撮って、世界に発信するってどうだろう?

簡単に借りられる「収録室」が、二子玉川の教室の階下にあり、先日はその下見までしてきた。

 

早速、3月の講座後に、1~2本ビデオで収録…してみようか。

講座が終わる4:40以降、約90分くらい残れる人でひとまず、テイク1?

『My Little Sister Ate One Hare』

それから、
『GO! Dog Go』
はいかが。

ご相談は、FBの「英語絵本リードアラウド認定講師」のページで。

 

以下は、Readers’ Theareのイメージ、

これは?というものをいくつか載せておく。

大人版

古典的なスタイルは、黒の衣装。
さしあたり、リードアラウド研究会は、「黒と白」のドレスコードでいきましょうか。

リードアラウド2年生の伸びが素晴らしい〜キッズブックス英語スクール

リードアラウドを始めて、2年になるふたり、KくんとCさん。

それぞれこの4月に小学1年と2年生になるが、ふたりの英語力の伸びには目覚ましいものがある。

 

先週、特に驚いたのはCさんの、表現力だ。

 

『A Big Guy Took My Ball』というゾウのGeraldとブタのPiggieという親友コンビのシリーズからの1話を、朗読劇のように読み合っていた。

 

 

 

 

Cさんは、Piggie役。

これが、正に、はまり役だったのである!

 

作者も、小学1~2年生の女子として描いているのだろう。

女子が言いそうなこと、しそうな表情が満載で、その年頃の女子に感情移入もしやすいということもある。

 

ボールを「大きい子」に取られたPiggieは、取り返してきてくれると言ったGeraldに、

「My hero」

とほれぼれと言ってみたかと思うと、

 

勇ましく出かけたのに手ぶらで、おまけにいいわけタラララのGeraldに、

 

「ボール、ところで、とりもどしてないでしょ」

 

と、冷たく言い放つ。

 

この小学生女子の感じ。

Cさんは、まるでPiggieのように体現したのである。

 

表情といい、言い方といい、英語がネイティブ言語の小学生女子が、校庭で親しい男子に上から目線で言っている場面のようだった。

 

これ、これ。

これがリードアラウドの醍醐味。

 

Cさん本人も楽しそう。

見ている大人たちも「ほ〜!」と感心しながら楽しい。

使った英語は素晴らしいし、

丸暗記ではなく、自分の言葉として発している(Fluent readingとはこのこと!)。

 

英語指導者顔負けの、CさんのPiggie。

先生も、頑張ろう。

 

 

絵本を「読む」と「表現する」:実験してみた~リードアラウド研究会

リードアラウドでよく指摘する「ただ普通に読んでいる」と、「表現している」読み方はどう違うのか。

 

カルチャーセンターの受講生には、絵本のリードアラウドにおいて「まっさら」の人たちがほとんどだ。

その人たちの読み方の特徴は、正確で端正だということ。

 

「そうじゃない」

と講師のわたしに言われて、どうしたらいいのかと時に憮然とする気持ちも、正直なところあるだろう。

 

どう、違うのか。

できるだけわかりやすく、その違いを示すことは、指導上大切だろう。

 

そこで、

自身で、ある一文を、A:ただ「読む」場合と、B:リードアラウドする場合で録音して、聴き比べてみた。

使ったのは『The Happy Day』の一節、

Now, the field mice sniff, the bears sniff, ~と登場する動物たちがsniffする、というところ。

 

リードアラウド歴が長いわたしには、案外と「普通に読む」、つまり文の内容を伝達目的で読むというのが難しかった。

 

そこで使った「手」として、

 

始めに「7時のニュースをお伝えします」

 

と、NHKニュースを真似て言ってみた。

これが、読み方を変えるのになかなか効果的だった。

 

さて、そのふた通りの読みを聞きなおすと、あら不思議。

まるで

 

A:「さて、ネズミそしてクマなど冬眠していた動物たちですが、今や野で鼻をくんくんさせています」

 

といった報告口調に。

まるで、野や山の春の兆しを伝えるニュースだ。

 

一方、リードアラウドした方を聞くと、

 

B:「あのね、ネズミなんだけど、たくさんのネズミが鼻を突き出してくんくんしている。それからクマも、のそっと鼻を出して、くんくん」

 

という感じ。

全く違う話に聞こえる。

 

このA, Bを、反対にしたらどうだろう。

 

ニュースなのにBの調子で読んだら、実にまどろっこしくイライラし、違和感溢れる。

 

ところが、絵本を楽しませる(表現する)つもりで、Aの調子で読むと、つるんと耳を通過して、単語は聞こえるが絵が見えてこない。

 

AとBの比較で分かったのは、

まず読む時に、目的を明確にする必要があること。

伝達なのか、表現なのか。

 

それから録音の音声波形グラフを見てわかる、機械的なことは、

Aの場合は間合いがほぼ均等であること。

音の高低差、音量の大小差が小さいこと。

緩急がほぼ均一だということ。

機械のように規則的に見える。

 

それに対して、

Bの記録、リードアラウドした方を見ると、

規則性が見えない間が空き、見るからに全てが不規則。

有機的な印象だ。

 

リードアラウドの上級者なら、この読み分けがそろそろ、できる。絵本のどの一節でもいいので、

A:伝達(「7時のニュースです」と心で言ってから、読む)

B:リードアラウド

 

と、録音して読み比べてみると面白い。

 

 

 

 

 

 

 

リードアラウドは伝達?表現?〜リードアラウド研究会

朗読にはふたつ目的があるだろう。

伝達と表現。

 

英語絵本をリードアラウドしていて、今更ながらに思うのは、表現に重点を置いている、そこがリードアラウドたるところだということ。

また、リードアラウド以外のよくある読み方、「英語が上手な人たち」= 英語の先生や素人のネイティブスピーカーなどの典型的な読み方は、意識していないにしても、ほぼ伝達を目的にした読み方だということ。

 

そんないわゆる「英語が上手な人たち」をも相手に、わたしが図々しくも「指導」できるのは、その伝達的な朗読を表現的なものに近づける指導を期待されるからだ。

 

伝達の読み方と表現の読み方、どこが違うのか。

 

まず伝達の朗読。

英語を聞くだけで文章や単語が頭に浮かぶ人たちに、その本に何が書いてあるか、客観的に文字面を読んで聞かせる。

または、読み手と聞き手の手元に同じ本があり、英語がある程度わかる聞き手に、読み手が全語句を読み下す。英語の先生が教室でする典型的な読み方だ。

 

次に表現する朗読。

書いてある言葉を身体に一度取り込んで、書かれた物語の主体として自分の感情にしたものを言葉に載せる。

 

伝達の朗読は、本来聞き手がその言語に通じていることが前提となっているが、表現の朗読は、その言語や文字を十分知らなくても、同じ人間の感情なのでかなりの部分、理解や推測ができる。

 

英語絵本を英語を母語としない子どもたちに読んでやって、

「ちんぷんかんぷん!」

という感想をもらった経験のある人。

 

多分その読み方は、伝達の朗読だったのだ。

 

表現の朗読を目指そう。

 

 

わたしの予想では、近いうちに、伝達を目的とする朗読は、AIなど機械が軽々とやってくれるようになる。

 

でも表現する朗読、リードアラウドがそうだが、感情というとても人間らしいものが関与するので、しばらくは人間がリードできるものだろう。

 

まだまだ機械に勝てる。

そして表現の探求は、「芸」という高い目的を人に与えてくれ、精進すれば子どもたちにも喜ばれ、それに対して「喜び」というおまけがつく。

 

2017年度、絵本リードアラウド認定講師発表会が終わった(2)もう一息のところ〜リードアラウド研究会

(1)のつづき

もう一息のところも、もちろんあった。

  1. リーダーズシアターの見せ方をくふうをすること

これは、今後わたしが、練習の段階で演出するのが適当だろう。

また、この日、直前の打ち合わせでつけた演出が、かなりショーを楽しくしたが、全員に徹底しなかったので、本番で少々乱れたのが非常に残念だった。

 

2. 指導中、子どもから思わぬ質問や事実に照らして訂正したい答えが出た時、ときに対応があいまいだったり正確さに欠けること

 

確実でないことを、正解と受け取られかねないように答えては絶対いけない。持ち帰るか、知らないから調べてね、など正直に。

また、子どもの質問を「やっかいだ」と思わないこと。表情にでる。質問はありがたいし、子どもが集中しているということだから、褒めること。

 

3. ときに観客の反応をよく見てないため、間合いが不十分で、観客が内容をよく把握できないまま、進んでしまうこと

たとえば、台詞を読んだ後、ナレーターが観客に「どう思う?」とでも問うような視線を投げると、その都度、観客は内容を立ち止まって考える時間を得られる。

4. 笑いを起こしたい本の場合、「しつっこさ」が足りないことがある

 

演劇などで笑いが起こるのは、繰り返しの台詞や動作、演技のときが多い。ベタな感じだが、どうやら人間の笑いはベタなものに起こるらしい。

「指導者」は知らず知らずのうちに、気どってしまっていることがある。表現するときは、そういった気どりや、「先生らしさ」の殻は邪魔。それらなしで、もうちょっとベタで「しつっこい」表現者になりたい。

 

5. 「Crow Boy」のナレーション、淡々としてはいても、元同級生としての痛み、驚き、尊敬などいろいろな気持ちが混じる。淡々と「ナレーションっぽく」して感情が抜けてしまうところが、まだ第一グループにはみられたこと

AIと生身の人間の違いを出したいところだ。

同じ「Voice of Crow」という語を、何通りにも言い換えられた、第二グループは、さすがのベテランズ。

かなりの出来だが、元同級生であるナレーターの心をもっと「深掘り」させること、間合いをもう一歩自在に、もうすこしケレンを加えるなどが、今後の目標か。