「キモい」といわれた中3のリスニング力~キッズブックス英語スクール

リードアラウドで英語を学んで6年余の中学3年生。

英検2級を甘く見て(?)、準備期間ほんの2週間程度、つまりは「実力」で受験したところ、案の定の「不合格」通知。

でもその「不合格」の内容が、悪くなかった。
すれすれの不合格。

それは、本人への戒めのためにもよかった。

 

結果を無造作にわたしに見せながら、その中学生が言った。

「いっしょに不合格になったともだちに、『キモい』って言われた」

 

「?」、わからない。

 

「リスニングの点が、異常にいいから」

 

ということらしい。へえ、それキモいか。

 

「リスニングのテストは、ふつうに何言っているのかわかるし」

 

今風に、ちょっと自慢げ。

わたしたちリードアラウド指導者も、いっしょにちょっと自慢げに

「ほほう」

 

 

そんな中学生に少々戒めの言葉を言っておいた。

英検2級程度の語彙、熟語は、「ふつうに」は身につかないと。

 

こういう標準テストでは、求められる語彙熟語だけは特別に勉強しないと、いい点数はとれない。

たとえばSATを受けるネイティブでも、「ふつうに」は身につかない。ちゃんと暗記したり、語源を学んだりするものだ。

 

リードアラウドがここで「キモい」くらい貢献したのは、リスニングだった。

「ふつうに」できるようになるようだ。

 

ネイティブ的に自然な速度や抑揚、言葉のこなれ具合、そして表現の聞き取りなど、確かにリードアラウドのレッスンでは日常的にやっているが、その実利的効果が、ひとまず日本の英語学習でいう「リスニング力」に出るらしい。

 

 

 

2017年度、絵本リードアラウド認定講師発表会が終わった(1)よかったところ〜リードアラウド研究会

絵本リードアラウド認定講師講座、年度の締めくくりは発表会&審査会。

1月13日当日、参加予定だったM.Y.さんとM.Iさんがどうしようもない事情でこられず。

ふたり分のあきが寂しかったが、遠方からのひとりも加え参加できたみなさんによる見応えのある発表会だった。

 

まずは、「よかったこと」を挙げたい。

1. 昨年と比べて、全員に明らかな上達が認められたこと

 

お世辞ではなく、全員に、というところがとても嬉しい。

たとえば、「声、言葉が少々不明瞭」と昨年の審査でコメントつけた人の場合。

その彼女は今年、「そんなこと書いたっけ?」とコメントを読み直したほど、声量も出て、滑舌も明瞭に。

 

個々への「上達」コメントをお楽しみに。

 

2. 模擬指導で、安心してみていられた。気になって長々と口を挟まずにすんだこと

 

一瞬「ダメ出ししようか」と思うことはあったが、そう思っているうちに、その瞬間はめでたくさった。みなさん自身が修正し、わたしの出る幕はなくなった。

安定感がかなりあり、みなさんの指導を楽しめた。

 

3. 見せ方、表情に違和感なく心地よかったこと

 

演出や盛り上げ方には、まだまだ工夫の余地はあるが、現状は自然でかつ知的、好感が持てる。

 

4. 表現にわざとらしさがなく、ユーモラス。笑いを誘えたこと。また特に上級者は、表現に細やかな思いが込めら、感動を呼んだこと

5. 英語指導者として正確で、信頼感を醸せたこと

 

 

 

 

久しぶり、ブックフェア@インターナショナル・スクール

ブックフェアは、子どもたちが本への愛を見せてくれるイベントでもあり、「販売員」も実に幸せな気持ちになる。

 

久しぶりに、朝から夕方までぶっ通しで、机二つに本を並べたミニ書店のおばさんを、インターの女子校でやった。

 

読み物の傾向は、この夏に見たアメリカの子どもたちとほぼ同じ。

インターナショナル・スクールは、本に関して米国とほとんど時差がない。

 

グラフィックノベル、
など、特にこの作者のものは強い。

 

語彙もいい語彙を使っていること、内容は小学生高学年から中学生の女子に興味がある、一種の成長譚。おっとりしたユーモアで、図書館司書の先生も太鼓判。
わたしも何冊か読んで、おもしろかったし。太鼓判。

 

簡単にできる材料付きクラフトセットも、パパが娘によく買ってくれた。
フェルトでかわいい人形を作ったり、冬休みにやりたくなる。

古典もまだまだ人気。
Charlotte’s Web
Roald Dahlのいろいろ。

 

面白いし、少女の心がきゅんとする。
好きだよね。

親御さんが、ざざざっとワークブックを買う風景も、見慣れた光景だ。
そんなにやれるのかなあ。
目を伏せた少女の表情が気になる。

 

Harry Potterは、今でも人気。

今頃?

と思っちゃいけない。

今、子どものひとたちは、最近この作品を知ったわけなんだから。

もはや古典の定番かな。

 

ちょっと複雑な気持ちになるのは、

表紙が特別かわいいけれど、内容はまあそうでもない、ちょっとした「少女だまし」っぽい本が人気なこと。

 

でも、読書になれること、好きになることが、特に2-3年生には重要だかれ、まあ必要悪か。

 

1050円の本があった。
ある少女が

I only have one thousand.

辛い。
「まけちゃえば?」

でも、誰かひとりにまけはじめると、きりがない。

This is one thousand and fifty yen, you know?

と言った。
しゃあない。

母語 vs. 英語〜リードアラウド研究会

英語教育で近頃目につく言葉「オールイングリッシュ」。

日本語を介さず教える、英語密度を濃くする授業で、100%良さそうだが、欠点もあると思う。
そんな、幾つかのことを考えてみる。

ひとつ。

生徒はもちろんのこと、慣れない先生も、使う英語が稚拙だったり冗漫になる傾向があって、隔靴掻痒。

授業のポイントが分かりにくかったり、無理やり英語にするので変な英語になることがあり。

 

教室での英語に慣れていない先生の場合、母語でもそうだが、言葉のキレが悪い。

一言または短文で言える事を、英語なら関係代名詞を使ったりの長文になったり、becauseがくっついたりの複文にして複雑にしてしまう。

 

「わからーん」

 

とネイティブの子に言われるような英語。日本の子には、もっと「わからん」のではないか。

 

もうひとつ。

読解をする場面で、母語でなら一言でわかる感情などが、英語では言葉を尽くさないとわからない。英英辞典の意味の解説のようで、わかったようでわからないような…。

母語で言われれば、または表現そのもので表せば、「なーんだ」と思う。

 

言葉を尽くして理解することは、時と場合で必要な過程だが、どんどん読んでいきたい時、物語に入り込んでいる時に、毎度毎度、この過程があると興が冷める。

また、読むスピードも落ちる。

読解の先の、感情とか表現の学習に進めない。

 

「オールイングリッシュ」授業に、こんな「欠点」も感じるが、

反対に、母語日本語をクラスで時と場合に応じて使うことにすると、

先生によっては、よかれと母語の「過干渉」をしてしまう。これまた、頭の痛い問題である。

日本語を使いすぎて、「親切」のつもりで、学習の阻害をしてしまうことも。

 

例えばこんなことがあった。

 

「Find a mouse with stripes」という本(『I Spy』)の指示があった。

子どもたちは「a mouse」を聞き取っただけで、ただのmouseを探し始める。

 

「with stripes」 と、英語で注意を喚起すべきなのに、

「しましま付きヨ!」

 

これで学習の機会1回がおじゃん。

これ、過干渉である。

 

 

 

また、もう一つ。

母語によるものではないが、過干渉の例として、ついでに挙げる。

 

「さあ、みんなで読もう」という場面。

ここで先生が、嬉々として率先して読んでしまうこと。

 

読み方を考え、解読しながら最初に声を出すべきは、生徒!

 

大切な学習の機会を先生が奪ってしまっているのに、気付こう。

 

先生の「おかげ」で、子どもは機械的に真似るだけ。脳の回路は省力化され、ここでも記憶の引っかかりがなくなってしまう。

 

一息待って、子どもにさせよう。

いろいろな過干渉にご注意。

 

 

 

(記憶のメカニズムについてをテーマにした、ディスニーアニメの「Inside Out」はオススメ)https://youtu.be/WIDYqBMFzfg

 

 

 

 

There is no substitute for real books…本物の本に代わるものはない〜キッズブックス英語スクール

今日は、この言葉に力をもらった。

絵本作家、Tomie DePaolaの言葉である;

 

There is no substitute for real books.  They are rarely boring or sanitized or squeezed into a “reading system” that children can smell a mile off.

 

(本物の本に代わるものはない。本物の本はまったくといっていいほど退屈なことはないし、きれいごとだけがフィルターにかけられていたり、子どもなら1マイル先から嗅ぎつける「リーディングの学習法」に押し込められていたりしないからだ)

 

So logic says if we want real readers we must give them real books; give our young people good literature, good art, and surprisingly, these young people may do the rest.

 

(よって理屈で言えば、本物の読者を望むなら、われわれは子どもたちに本物の本を与えなければならない。つまり、子どもたちに上質な文学や芸術を与えるのだ。そして驚くことに、そうすると子どもたちはその先のことをやるものだ)

 

少し解説を付け加える。

本物の絵本ならそれは本物の文学であり芸術である。

 

つまり、本物の絵本はそのまま書店に絵本の棚に並ぶもので、英語力のためにとか教えるためにかかれ、教材の棚に並ぶものではないということ。

 

そういった「勉強」ものは、子どもなら1キロでも1.6キロ先からでも、かぎ取ることができるものだ。