言いたいこと、メッセージがない!〜キッズブックス英語スクール

今朝の新聞に、小学6年生と中学3年生約200万人が受けた2017年度の全国学力調査の結果が発表されていた。

 

思考力を問う問題の正答率が低かったことが、話題になっている。

 

その手の問題を前にした受験者の声が聞こえてきそうだ。

 

「かったるい」

 

なんだかこの頃、みんな面倒臭がり屋だ。

 

我がスクールの担当科目は英語。

受験の英語でのスピーチ指導をすることもあるが、

先日ブログに書いた作文(ライティング)の問題と同じく、

英語指導する前に、

その生徒の言いたいこと、メッセージ探しを手伝う必要を感じる。

 

日本の受験で、どれほど「メッセージ」の中身を問うか知らないが、

少なくともアメリカの大学受験では、その生徒の熱意というか、伝えたい中身が重要だ。

 

そして、本当の評価はそうあるべきだと思う。

 

三人称のsが抜けたとか、時制が違うとか、上等な構文を使うとか、そういうことは全く二の次だろう。

 

言いたいことがない、

という生徒でも心の中にも、実はメッセージがあるのだが、

それを言うのが面倒臭い、と思ってしまうのだろうと思う。

 

そう育ててしまった、今の社会に問題があるのじゃないか。

 

社会として、聞いてあげる、話を肯定的に受けてあげる。そんな余裕がない。興味がない。

 

そして、聞きはしても質問を挟んだり、相手のメッセージを踏まえて自分なりの理解を語ってみたりする、積極性が社会や大人にない。

 

一歩、踏み込んだ対話、それが少ない。

 

語りたくなっても、相手が面倒臭そうだと、語れない。

 

語り合いで、さらに「言いたいこと」が湧いてくる。

語り合いの場がなさすぎて、湧いてもこないのか。

 

生徒自身に「言いたいこと」が湧いてきたら……

 

英語指導者として初めて、

英語スピーチやら「ライティング」の手伝いができる。

 

 

読書とわたし

どのような子ども、学生時代を過ごして、読書好き、本好きになったのか。

読書教育談義などする機会があって、自分と読書の付き合いをふりかえってみた。

 

小学校に上がる6ヶ月前に、渋谷から都下に引っ越して、幼稚園も「中退」したまま、自宅でぶらぶら。

両親は超多忙。

どうやら文字はそこそこ読めたらしく、本をあてがわれた。

読めるのが面白くて、大人の本もめくった。

 

父の『SFマガジン』に手塚治虫の漫画連載があって、魅了されたが、ちょっとエッチだった。

読んでもらっていたのは、アンデルセンが多い。

 

小学校時代、本だけはいつでも、たいていの欲しいものを買ってもらえた。

 

「読みなさい」と母が買ってくるのは「ヘンな」本だった。

アイヌ伝承物語、水滸伝、中国民話、世界中の民話。科学者の伝記物語。

 

父は、ギリシャ神話とバンビなど動物の話。シートン動物記、ファーブル昆虫記、冒険物に夢中になった。

 

外国児童文学、子供用に書き直された「名著」、いつも何かしら読んでいたが、プーさんとか「楽しい川辺」とか動物が主人公のものにはまる。

あと装丁で岩波書店の児童書ファンに。

小5、6と、図書委員になって、借り放題。子どものセクションではポプラ社?のルパン、そのほか怪人二十面相など(これらは、すぐに読み終わるので「図書館で」と母に言われた)。1日1冊くらいのペース?

しまいには、PTAの本にも手を出し「氷点」も。

 

あ、ケストナーの「点子ちゃんとアントン」などは、総ざらい。

 

すぐに読み終わるので、母は「字の小さいものを読みなさい」と、ケチ?なことを。

 

漫画も含めて、なんでも条件なしに買ってくれた父がありがたかった。

 

中一になって、図書館の貸し出しカードの枚数競争を友人と始めた。

「敵」もなかなかよく読むので、さらにこちらも加速。

 

北杜夫、団伊玖磨「パイプのけむり」シリーズ、山本周五郎もこの頃。

時代物にはまった時もあった。

夏はなぜかエラリークイーン。あるもの全部読んだと思う。

 

そうそう、少女マンガも並行して読み漁り。楳図かずお、美内すずえ、里中まちこ、水野英子、読んだ、読んだ。

 

おまけに少年マンガも。ジャンプは必読。月曜日は忙しかった。

 

よく読んだものだ。

本にまつわる話でも、旧友としながら老後が楽しめるかな?

読書、英語でも日本語でも〜キッズブックス英語スクール

小さい頃から好きで、今も続けているものは、読書。

学生時代と比べるとお恥ずかしい読書量になってしまった今日この頃だが、時間があるとなれば、やはり読書に没頭したいと思う。

 

その読書、英語でも日本語でもいいのだが、何に役立つのか。

 

 

今日、薄いおかゆを作っていて、ふと浮かんだ思いに、ちょっと驚いた。

 

「ごはん粒の少ないおかゆでも、ありがたいなあ」

 

「つくづく思う」という感覚だった。

 

でも待てよ。

そんな、米粒がたくさん入った重いおかゆが食べられないわけではない。
好きで薄いのを作っているのだが?

なんだろう、この反射的に浮かんできた「ごはん粒があるだけ、豪華な粥」という思いは。

 

高度成長時代に育った私が、米粒いっぱい食べたいのに食べられなかったという経験はない。

 

このありがた感は、なぜ?

 

 

思い当たるふしがあった。
 

本で読んで知った感覚。

 

終戦間近の日本の食卓についての記述を、あちらこちらで読んだのだ。

多分、小学5、6年生の頃の、戦争文学や手記など濫読時代に。

読書による「疑似体験」だ。

 

また、別の折の別の感覚。
薄いお茶を飲んだ時に湧いた感覚がある。

 

「色があるだけありがたい」

 

ん?

 

この感覚は、

 

パールバックの『大地』三部作を読んだ時に記憶されたに違いない。

 

この本を、仮性近視になるくらい夢中になって読んだのが、中学生のある夏。
このときに、なぜか染み付いた極貧中国人農奴の、お茶のイメージだ。

 

極貧の主人公一家が、お茶の葉も満足に買えず、白湯に近い薄いお茶を土間で飲むという場面。

自分の経験のように浮かんでくるのが不思議だ。

 

本当の経験と、読書での経験の区別がつかなくなったら、ちょっと別の意味で心配だが、

 

幸いまだ、とっさに浮かんだ感覚が、実の経験からなのか読書からなのか区別はつく。

 

ということで、

読書の一つの効用は、

 

多くを実際に経験するには人生が短すぎるところを、疑似体験させてくれること。

 

私自身、没頭して読むタイプだからか、

そんな実体験と間違えそうな読書による疑似体験の記憶が頭に、いっぱいあるらしい。

 

朗読などで表現を考える場合、無意識にそんな記憶の引き出しが開いて、場面が見えてくる感覚がすることも多い。

 

これは、自然な表現をするために、とても助かる。

 

近年は、読み続けたおかげか、英語でも読書が楽しめるようになった。

 

翻訳を通さない生のイメージが加わり始めた。

 

例えば、50~60年代のアラバマ州へ行けるわけでも、行ったわけでもないのに、かなり鮮やかな、当時のアラバマのイメージがある。

 

これは、

To Kill a Mocking Bird と、

 

同作者による、最近発見され出版された続編

Go Set a Watchmanを、耽読したせいだ。

 

よく「読書が人生を楽しくしてくれる」とか言うが、

読んでいる最中だけでなく、

その後に、読書から生まれたイメージが頭に残り、

様々な事実を目の当たりにした時にそれが蘇り、深層的に考えたり、味わったりできることがなんとも楽しい。

 

具体的には、

香りも色もあるお茶をいただけた時の味わいは、お茶も買えない革命前の中国の農奴の飲む白湯っぽいお茶(の疑似思い出)と比べて、ありがたさが違う。

 

読書さまさまだ。

英語で読書を楽しめる人に〜キッズブックス英語スクール

昨晩は、ひょんなことから、木場にあるコミュニティ・ラジオの教育ラジオ番組に出演。

期待された役割は、「英語で読書を!」の伝道師?

 

問われるままに、読書へ子どもを誘うと私が信じ作り出した、リードアラウドと、その先に見ているものを語った。

 

その後、気づいた。

 

近頃、ブログに読書の大切さを、改めて書いていない…。

 

収録した番組の録音が、そのうちネット上にアップされるだろうが、

その前に、

 

英語で読書を!

 

について最近、思っていることを書こう。

 

母語なら、その言語を使っている人たちに囲まれて密に言語と接しているので、義務教育とセットで、ある程度できるようになる。

 

たいていの日本人にとって第二言語である英語は、母語と比べて密度が格段と落ち、義務教育だけでは「できる」ところまでたどり着けない。

 

読書は、その密度をかなり補ってくれるものだ。

 

私が唱えるのは、その読書に

声に出して、表現豊かに読む、読み合う

こと、リードアラウドを組み込もうということ。

 

このリードアラウドは、幼児期から小学生、中学生…と続けていくことで、

スピーキング、リスニング、リーディング(comprehension)の練習になる。

 

特に、「豊かな表現」またはreading fluencyを目標にしたこの独自の読み方は、

 

フォニックスなどで単語の読み下しはできるが、文の内容にまで気がまわらない最近の「英語ができる子ども」に、

 

読解力をつける橋渡しをする。

 

書いてあることが、わかること。

物語を完全ではなくとも、

読書を(勉強ではなく)楽しめるのに必要と言われる75%以上の理解へ。

 

そこまでの道先案内はリードアラウドが担ってくれる

と、思い始めた2003年から15年が過ぎようとしている今日も、信じている。

 

 

 

 

 

 

 

認定講師講座第5回報告その2:朗読上達のメソッド〜リードアラウド研究会

(前回からの続き)先日のワークショップでも、朗読上達の効果を確認できた…

 

 

そのメソッドとは…

 

Characterization。絵本の登場者のキャラクター付けをすること。

 

今夏、Improvisationの本場、アメリカで3度目の、ワークショップ参加。そこでも、Characterizationを学び、その過程がリードアラウドの朗読の上達につながるという感触を再認識した。

 

Characterizationのために、段階を踏んだ。

 

1.緊張を取る

認定講師ワークショップは年間通してのものなので、参加者同士がほとんど顔見知り。

そんな場合は、この段階は飛ばせる。

初対面同士の場合に必要な段階だが、シアターゲームでウォームアップが有効。

 

2.準備(発声など)する

 

声を響かせるウォームアップ。

大きく口を開いて、遠くを目標に声を出す。

 

3.キャラ:身体作り

 

声は出さず、身体でcharacterizationの演習をする。

課題書に登場する、inchwormやrobin、nightingaleのキャラを分析。

分析したキャラになったつもりで、台詞はなしに歩き回ってもらった。

 

例えば、inchworm。

幼児だが意気軒昂、知恵もの。人生に前向き、生きる喜びに満ちて歩く…など。これらを姿勢や表情、歩き方などで表すこと数分。

 

いくら声での表現である朗読でも、口先だけでは自然で趣のあるキャラを作り込めない。

 

キャラを体現しながら歩き回るうちに、ワークショップ参加者の皆さんが、だんだん解放されていく。

 

自分も解放感を感じつつ、仲間の自由な姿を目の当たりにするというのも、効果的だ。

グループレッスンの効用も加わる。

 

4.キャラ:声作り

それぞれのキャラになったつもりで、自由な話題で他のキャラになっているパートナーと話してもらった。

 

inchwormとrobinなら、少年とおじさんとして、性格は分析したものに沿って、話を続ける。

 

身体の動きは、さきほどの感じを保つ。

 

5.キャラ:実際の文中にある台詞を読み合う

 

役がだいぶ身体に入ったところで、台詞をつけてもらった。

最初の朗読と、かなり違う、血の通った台詞が方々から聞こえてきた。

 

以上5段階を踏んで、それからの本書『Inch by Inch』の朗読は、それはそれは傑作揃い。

 

ところどころ、特に細かい練習をしていなかったナレーション部分に、隙が見られるが、会話部分は素晴らしいものになっていた。

 

characterizationは朗読を楽しく聞かせるものにしてくれる。

 

そして、この5段階練習法でcharacterizationが身体に入るらしい。