ここ最近の指導者向けワークショップで、継続して演習しているのが、シアターゲーム(インプロ:Improvisation)の「Yes, and」。
何かと言えば、
相手の言ったことを「Yes」と肯定し、
そのあとに「and」で新たな情報(あなたの知識や、世の中の事実や道理、別の考えなど)を加えること。
説明を聞くだけと、「そんなこと、いつだってやってきた」とスルーしてしまいそう。
ところがさて、演習を始めて、
または模擬授業をしてみて指摘されてみると、
あまりの「No, but」「Yes, but」「Actually」など、相手をacceptしていない発言のおおさに、みんな驚く。
この「Yes, and」。
指導的立場にある人が、もっともっと意識的に実践すると、相手(生徒など)の意識が変わる。
今朝の新聞に、在日米国大使館主催の「#GO GIRLS!プログラム」に出た記者の見聞記が載っていた。
プログラムに参加した中1から高3までの女子参加者から拾った発言が、たいそう興味深いので、ここに転載しよう。
↓
(思い切って手を挙げた中1)「(中略)最初はちょっと気おくれしました。
グループディスカッションは初めてやりました。私の意見も聞かれて、まとめに反映されてうれしかった」
↓
(高2)「お兄ちゃんが優秀で。自分に自信がありませんでした。
講座でも1回目は意見をあまり言えなかった。
2回目ではちょっと慣れてきました。自分の意見を言って、人がまたそれを受け入れてくれてさらに意見を言っていいものが出来てくるのが面白かった。
達成感がありました。
すごく刺激を受けて、少し自信がつきました」
(朝日新聞『ザ・コラム』10月13日より)
「Yes, and」発祥の地、米国の啓蒙プログラムには、
やはり「Yes, and」の精神が色濃く出ているようだ。
他人に受け入れられると自信がつき、学習などの動機付けになることは、
昔から広く知られたことだが、経験として語られることが主で、
日本の教育現場で方法論として取入れられているわけではない。
それを、指導者に研修を受けさせるまで方法として確立させているところに、
米国のひとつの素晴らしい面が出ていると思う。
そして、わがリードアラウドのワークショップ。
この「Yes,and」の効果を伝え、指導者が生徒にいつもこの姿勢でいよう、と昨年度は、主に説くことから始めた。
しかし、「説く」だけでは、頭に知識として留まってしまいがちだ。
「Yes」
は、口にすぐでるようにはなった。
否定しがち、無視しがちな自分たちには気づくようになった。
でも、「and」からが、うまくいかないケースが少なくない。
立ち往生、またはすっぽりぬかす。
それではただの「先生の口癖」になってしまう。
そこで本年度からの課題である。
「and」で、とっさの言葉を続けられるように。
そして、その言葉に、指導者としての「情報」を滑り込ませる。
それが出来るようになるのに、どうしたらいいのか?
生徒たちは、思い思いのことを言い、毎回違う生徒が来ることもある。
個性もばらばら、予想がつかない。
台本を作ることは、不可能。
作っても無駄となることが多いだろう。
そこで、
「Yes, and」の本場に習うことにした。
今月の講師認定講座第7回でも、
そして大阪での指導者向けワークショップでも、
「Building a Story」
という、シアターゲーム、インプロの代表的な演習を取入れた。
ひとりが、だいたい1センテンスの物語を語り、次のひとがその内容を受けて、先に発展させて、結論に導く。
「何やってんのか?」
「お遊び?」
などと思う人もいるかも知れない。
だが、1970年代から北米を中心にこうしたゲームが広がった。
もともとは演劇の表現練習、即興練習だったものが、
生徒のやる気につながるからと、学校現場に広がり効果が客観的に認められるものとなった。
そして、それだけに留まらす、
大人のやる気への効果も認められ、
社会研修や社員研修、
なんと大リーグのチームワーク訓練や自己啓発的にも使われるようになった。
わたし自身の経験に照らすなら、
わがワークショップでの効果は、参加者のみなさんに、じわじわ効いてくる。
ただし、「気づく」自分の存在も重要だ。
生徒の気持ちになって、自分の授業を反芻してみる。
実際に録音してみる。
記憶をたどって、昔の「生徒」だった頃の自分を思い起こしてみる。
今「生徒」のひとたちの会話に耳を傾けてみる。
いろいろな手で「気づき」の感度を上げてみよう。
そして、自分の反応が「Yes, and」になっているか照らしてみる。
ちなみに、朝日のコラムのタイトルは、壮大。
「世界をかえるのも 救うのも」